『ショア』のクロード・ランズマン監督と。
実質的なぼくの映画デビュー作『三里塚に生きる(英題:The Wages of Resistance)』が2014年台湾国際ドキュメンタリー映画祭のオープニング上映作品に選ばれた。その映画祭でランズマンはインターナショナル・コペティションの審査員を務めていた。
審査員の休憩スペース近くを通りかかると、同じくコンペ審査員を務めていた山形国際ドキュメンタリー映画祭の畑あゆみさんに呼びとめられた。「ランズマンがワイン呑んでるわよ」。そして紹介され、ワインをお相伴し、写真を撮った。そして密かにこころに誓った。
「『三里塚に生きる』で終わりたくない。これから3年に1本くらいのペースで映画を作りつづけたい」。あれから10年、4本の映画を作った。あっちへフラフラ、こっちへフラフラして、50代になってからようやく本気で映画を作りはじめたぼくに残された時間は少ない。
映画監督・プロデューサー 代島治彦
プロフィール
だいしま・はるひこ
映画監督・プロデューサー。1958年埼玉県熊谷市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。1982年に博報堂入社、2年後に退社。87年に有限会社スコブル工房を設立する。
92年に沖縄を舞台にしたオムニバス劇映画『パイナップル ツアーズ』を製作。ウチナーンチュ(沖縄人)の役はウチナーの役者が、ヤマトンチュー(日本人)の役はヤマトの役者が演じた。監督は琉球大学映画研究会出身の3人、中江裕司、真喜屋力、當間早志。同作はベルリン国際映画祭へ正式招待されたほか、日本映画監督協会新人賞を受賞した。
沖縄の若手監督、役者、ミュージシャン、アーティストが結集した沖縄県産映画「パイナップル ツアーズ」は1990年代前半にはじまる“沖縄ブーム”の先駆けとなった。音楽は照屋林賢とりんけんバンドが担当。
ロケ地は沖縄本島の北に位置する伊是名島。ヒデヨシ役で出演した利重剛は現場の混乱ぶりをみて「このままだと映画は絶対にできないんじゃないかと思った」と回想するが、けが人もなく無事にクランクアップ!
93年に山形国際ドキュメンタリー映画祭特別イベント「世界先住民映像祭」をコーディネート。映画祭メイン会場前の駐車場に仮設テントシアター「先住国シアター」を開設し、映画上映、シンポジウム、ライブ、アイヌと沖縄の神事、映像祭の枠を超えた祭り空間を演出した。
その後、94年にユーロスペース元支配人の山崎陽一と株式会社ボックス・オフィスを設立。JR東中野駅前に“客席一人当たりのスクリーン面積が日本一大きい”ミニシアター「BOX東中野」を開館する。
1993年山形国際ドキュメンタリー映画祭特別イベント『世界先住民映像祭』をコーディネイト。メイン会場前の空き地にテントシアターを建てた。
1994年9月、BOX東中野をオープン。フィルム上映に加え、日本で初めてビデオプロジェクター上映も可能にした。これは週刊プレイボーイのグラビア記事。
「BOX東中野」を経営するかたわら、NHKなどでテレビ番組を製作・演出。主な番組に『日本映画復興祈願・映画館へ行こう』(94年/NHK・BS2)、『写真で読む東京』(96年/NHK・ETV/演出・佐藤真)、『未来潮流・土着から普遍へ、沖縄文学の潮流』(96年/NHK・ETV)、『エスニックメディアと日本 160万人在日外国人の声』(96年/NHK・ETV)、『未来潮流・本は消えるか、消えないか』(97年/NHK`・ETV)、『未来潮流・つくりものの力と効能 建築と美術の間で考える』(98年/NHK・ETV)『アジア発・映画のこころ 小栗康平とイ・チャンドンの対話』(2000年/NHK・ETV)などがある。
NHK・ETV特集『写真で読む東京』シリーズ(1996年2月放送)を製作。監督は佐藤真、撮影は小林茂。写真評論家・飯沢耕太郎がナビゲーター役を務め、4人の写真家(桑原甲子雄、長野重一、内藤正敏、荒木経惟)を取り上げた。
BOX東中野からは数々の新人監督が巣立った。『A』『A2』の森達也はその代表格だ。テレビ作品『放送禁止歌』までビデオ公開し、ライブも開催。その後『森達也の夜の映画学校』を開校した。BOX東中野は“なんでもあり”の箱だった。
2003年に「BOX東中野」を閉じる(映画館は新しい経営者が「ポレポレ東中野」と改名して継続)。06年に『戦争へのまなざし〜映画作家・黒木和雄の世界』(NHK・ETV)でギャラクシー賞奨励賞受賞。08年に『鬼才・石山修武、建築がみる夢』(NHK・新日曜美術館)など。「BOX東中野」閉館のオトシマエをつけるために、06年から3年間かけて沖縄から北海道まで国内のミニシアター12館を巡礼。その巡礼記録をまとめて『ミニシアター巡礼』(11年/大月書店)を書き上げる。
2003年4月、BOX東中野閉館。当時の率直な気持ちは「がんばっているミニシアター仲間の足を引っぱるようで申し訳ない」。自分の至らなさを反省するために沖縄から北海道まで全国のミニシアターを訪ね歩き、『ミニシアター巡礼』を書いた。
NHK・ETV特集『戦争へのまなざし 映画作家・黒木和雄の世界』(2006年8月放送)を製作・演出。撮影・大津幸四郎、朗読・石橋蓮司、語り・加賀美幸子。このテレビ作品を通じて、黒木和雄と大津幸四郎に映画作りの真髄を教えられたように思う。
06年から国内のアウトサイダーアートの作家たちの創作現場の撮影を開始。07年に『現代美術をぶっとばせ!誰も知らない天才たち』(07年・筑紫哲也のNES23マンデープラス)、08年に『絶対孤独の表現者たち〜アウトサイダーアートの世界』(NHK・新日曜美術館)、10年に『絶対唯一のアートの衝撃〜日本のアウトサイダーアート』(NHK・新日曜美術館)を発表。4年間撮りつづけたアウトサイダーアートの作家たちの創作現場ドキュメンタリーをDVDシリーズ『日本のアウトサイダーアート 全10巻』(10年/紀伊國屋書店)にまとめた。
筑紫哲也NEWS23マンデープラス『現代美術をぶっとばせ!誰も知らない天才たち』(2007年1月放送)。障害をもつ人たちの表現活動が、それまで閉じ込められてきた(差別されてきた)“福祉の壁”を初めてぶち破った番組だった。
NHK新日曜美術館『絶対孤独の表現者たち〜アウトサイダーアートの世界〜』(2008年3月放送)。伝統の美術番組が初めて障害をもつ人たちの作品を有名美術家と同じステージにのせた記念碑的番組。田口ランディさん、木下晋さん、会田誠さんに出演してもらった。
2007年から12年までNPO法人映画美学校ドキュメンタリーコース高等科の講師を務める。高等科を一緒に教えた日本ドキュメンタリー映画界を代表するキャメラマン大津幸四郎を被写体として、2008年度の受講生とともに『まなざしの旅〜土本典昭と大津幸四郎』を製作。2011年度山形国際ドキュメンタリー映画祭クロージング上映作品に選ばれる。2009年から12年まで映画美学校公開講座「ノンフィクション講座」を主宰。11年3月11日に起きた東日本大震災以降、震災と原発事故の被災者に対してドキュメンタリストはどのように向き合うべきなのか、真剣に考えた。
『まなざしの旅〜土本典昭と大津幸四郎〜』(2011年公開)。映画美学校ドキュメンタリー高等科2008年生の実習作品として製作。「ドキュメンタリー映画とは何か」を問う。完成した翌年に東日本大震災が起きた。
映画美学校公開講座『ノンフィクション講座』を2009年から12年まで担当。東日本大震災、原発事故直後の11年〜12年の講座は“被災地へのまなざし”がテーマ。このとき、すでに多くの映像作家が被災地に入っていた。
チベットの少年を主人公にした岩佐寿弥監督のドキュメンタリー『オロ』(12年公開)を製作・配給したことをきっかけに再び映画製作の世界に戻る。11年から2年間、かつて激しい空港建設反対運動があった千葉県成田市三里塚へキャメラマン大津幸四郎と通い、『三里塚に生きる』(15年公開)を製作・監督(大津幸四郎と共同監督)・編集・配給。同作は2014年台湾国際ドキュメンタリー映画祭オープニング作品に選ばれたほか、香港国際映画祭、チョンジュ国際映画祭に正式招待された。
『オロ.The boy from Tibet』(監督・岩佐寿弥 2012年公開)で製作・編集を担当。映画の面白さを再発見し、配給・宣伝まで手がける。肖像画を下田昌克さん、グラフィックデザインを長友啓介さんに依頼。あっと驚くオロ(OLO)肖像デザインが出現した。
『三里塚に生きる』(2014年公開)。大津幸四郎さんとの共同監督作品。グラフィックデザインは鈴木一誌さん。この作品以降、『きみが死んだあとで』まで闘争三部作のデザインを担当していただいた。2023年8月、鈴木さん逝く。ありがとうございました。
2017年に『三里塚のイカロス』を発表。第74回毎日映画コンクール・ドキュメンタリー映画賞受賞。台湾国際ドキュメンタリー映画祭、チョンジュ国際映画祭、香港独立映画祭に正式招待された。
2018年に『まるでいつもの夜みたいに 高田渡 東京ラストライブ』を発表。図らずも東京ラストライブになってしまった2005年3月27日の高円寺の居酒屋での高田渡の単独ライブのドキュメンタリー。
『三里塚のイカロス』(2017年公開)。毎日映画コンクール・ドキュメンタリー賞受賞。映画を勉強したこともなく、現場で先輩たちの仕事を盗んで、見よう見まねでテレビ番組や映画を作ってきたので、思いがけないこの受賞はほんとうにうれしかった。
『まるでいつもの夜みたいに 高田渡・東京ラストライブ』(2018年公開)。このチラシの評判はよかった(ある映画祭でチラシ大賞をもらった)。絵は南椌椌さん。渡さんがよく通った吉祥寺のカレー屋の店主でもある。渡さんが旅立ってから13年後に公開した。
2021年に『きみが死んだあとで』を発表。上巻、下巻合わせて3時間20分の長編になる。日本の学生運動史にひとりの若い死者とその友人たちの個人史を重ねわせたこの作品は山形国際ドキュメンタリー映画祭に正式招待された。
2024年に最新作『ゲバルトの杜〜彼は早稲田で死んだ〜』を発表。
2024年11月1日、「有限会社スコブル工房」を「有限会社うんたった」に改名。
2025年4月、深谷シネマにて「代島治彦のDOCUゼミ」を開校予定。
『きみが死んだあとで』(2021年公開)。天空から土砂降りの雨滴が落ちる朝、ぼくはある若者の遺影を掲げて羽田・弁天橋に立った。自分が死んだあとの時代を、この橋の上で命尽きた20歳の「きみ」はどういう気持ちで眺めているだろうかと想像しながら。その想像が長編ドキュメンタリーになった。
『ゲバルトの杜〜彼は早稲田で死んだ〜』(2024年公開)。ぼくは「死者にみちびかれて、闘争の記憶と痛みを語り継ぐ」ために映画を作ってきた。新左翼党派間の内ゲバ殺人の死者は100人を超える。彼らはなぜ殺し、殺されたのか。無意味なままに放置しつづけることは許されない。思い出せ。鎮魂せよ。
著書に『ミニシアター巡礼』(大月書店)『きみが死んだあとで』(晶文社)、共著に『森達也の夜の映画学校』(現代書館)がある。